魔法の人生に誘う「フロー」

フローの「発見」

■フローの「発見」

「フロー」の概念を広く提唱したのは、 シカゴ大学行動科学部の心理学教授であった、
ミハイ(マイク)・チクセントミハイです。

創造的プロセスの研究しているときに「発見」しました。

「フロー」とは、自分が行っていることに完全に浸り、集中し、没頭し、のめり込んだ精神的な状態を表す、チクセントミハイの造語です。
調査対象の人々への多くのインタビューで、精神状態が流れていくような境地が聞き取れたからです。

スポーツ選手が使う「ゾーン」、ビジネスマンの「エンゲージメント」、ミュージシャンの「ジャックイン」、
画家の「美的恍惚」、宗教的な「エクスタシス」もほとんど「フロー」と同じ状態だと言われています。
他に、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれます。

「フロー」の命名があるまでは、各ジャンルで別々に使用されていたため、
どのような状態であるのか、公に認知されてきませんでした。

これは、チクセントミハイの大きな功績です。

誰にでも、絵を描くことや、文章を書くこと、釣り、ゲーム、ネットサーフインなど、
何かに夢中に没頭するあまり、時間が経つのをすっかり忘れてしまった経験があるでしょう。

チクセントミハイは、研究開始の最初をこのように書いてます。

「私の最初の研究対象は数百人の「熟達者」芸術家、競技者、音楽家チェスの名人、
それに外科医言葉を換えれば、自分が本当に好きな活動に時を費やしている人々であった。

活動している時に、どのように感じているかについての彼らの説明から、
私はフローの活動に深く没入しているので、他の何ものも問題とならなくなる状態、
その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをすることのために、
多くの時間や労力を費やすような状能、という概念に基づく、最適経験の理論を作りあげた」
『フロー体験喜びの現象学』

チクセントミハイは、当初、作業に没頭している画家たちにインタビューをし、
彼らを観察しているときに、その、作品制作の背後にあった内発的動機づけに衝撃を受け、心を打たれ、強い興味を覚えました。

その画家たちは、作品が完成したときの作品の出来や称賛、金銭報酬への思惑から絵を描くのではなかったのです。

絵を描くプロセス自体が報酬であるとみなしてました。

製作に取り組み、うまくいっているときには、飢えや疲れ、不快感を忘れてました。

他、ロッククライマー、チェスの名人、ダンスの名手、外科医、その他 大勢の人とインタビューし、
導き出された特徴が、私たちが現 在「フロー」としているものです。

それはすべて「やらされている状態」ではなく、自発的に喜んで挑戦する精神状態でした。

フローはもちろん、 昔から人類に存在してましたが、チクセントミハイの慧眼によって、
その状態に名前がつけられ、表現され、再現され、あらゆるジャンルにおける研究が行われたきたのでした。

この理論が世間的に注目されるきっかけがあります。
1993年のスーパーボウルの テレビ中継です。

チクセントミハイ博士の著書『フロー体験喜びの現象学』が、
ダラス・カウボーイズのコーチに大きな影響を与えたと報じられたことだったのです。

フローの自発性

■フローの自発性

フロー状態は、基本的にやらされる事柄ではなく、自発的に引き寄せます。
仕事や遊びなど、さまざまな種類の活動において経験できますが、自発的な活動から体験されます。

自分がすべてコントロールしていると実感し、そのチャレンジは嫌なものではなく意欲的に取り組め、楽しい行為と思えます。
自分が強くなったと感じ、能力をフルに発揮できている感覚をもち、他のことをには無感覚、無意識的になるとされています。

ただ、それをやりたいために、やっているような境地です。
やらされてない、やる、やりたいという感覚です。

なので、子供の勉強で、自分で興味を持った内容には、無限のような集中力を発揮できますが、
やりたくない強制された宿題は、余程スキルと課題のバランスが取れてないと、フローの状態を生み出すことはありません。

フローが起きる時

■フローが起きる時

多くの心理学者の研究から、フローが最も起こりやすいのは、スキルとチャレンジする課題とが、最適な均衡状態にあるときだと定義されました。

一方で、取り組もうとした活動が、自分に取ってレベルが低く挑戦しがいのないものならば、フローは起こりません。
フローとは、低レベルで退屈な課題と、ちょっとレベルが高く、少し不安を感じる課題との間の、
ちょうどいい場所でチャレンジをするときに起こるものです。

なので、程よい緊張感とストレスがあり、決してレジャーのような喜びを感じものではありません。

重要なことは、どんな領域の初心者であれ、挑戦する課題、または与えられた課題が、
その人のスキルにふさわしければ、フローが起こります。
なので、小学生にでも起こるのです。

難しすぎる課題は、レベルが低すぎる課題と同様、フロー状態になりません。

注意点は、その人のスキルが向上すれば、それまでフローが起きた課題解決に、フローが起きなくなることです。

一度マスターしてしまうと、目の前の作業が努力が必要なものではなくなり刺激的なものではなくなってしまうからです。

しかし、チャレンジのレベルが上がるということであり、改めて
高いレベルに取り組んで進歩発展できる機会になるので、素晴らしいことといえます。
つまり、ビジネスにおいてフローの中毒になり、いつもビジネスフロー状態で仕事をしたくなれば、
仕事の質は限りなく高いレベルに進歩していく
のです。

自分がやっていることからフロー体験を引きだすには、適切なチャレンジを見つけ るという能力にが大事になります。
なので、フローの状態を維持できるようにするために、さまざまなスキルを伸ばし、チャレンジする機会、活動をたえず試すことが必要です。

それは、つねに努力して成長し、より熟練した存在になろうとすることを意味します。

最後に、フローとは、高度な創造行為であるように思われてしまいますが、実はどんなに単調で退屈に思える活動でも、
ほとんど自分のチャレンジ意欲いかんで、工場の流れ作業の、単純反復組み立てラインであっても、フロー体験をすることはできます。

「それは子供が、これまでよりも高く積み上げた積木の塔に、ふるえる手で最後の積み木を乗せようとする時、
水泳競技者が自己記録を破ろうとする時、バィオリニストが複雑な楽節を弾きこなそうとする時に生じる。
だれもが自分自身を拡大する挑戦の機会を無数にもっている。」
『フロー体験 喜びの現象学』

つまり、どんな年齢の、どんな人でも、どんな仕事でも、フローによる幸福を得ることができるということなのです。

「フロータイム」のコントロール

■「フロータイム」のコントロール

フロー中の時間の流れ

フロー体験の間、何かに無心に没頭している人にとっては、時間が速く経過します。

注意力はその活動そのものに集中するので、社会的な周囲との関係性を持った自分の感覚は失われ、
自己の内部に没入しきった鮮烈なフローを体験する時間です。

多くの人が簡単にフロー状態になる、テレビゲームや麻雀の時間も、時間が早く過ぎます。

面白すぎるせいで、すぐにフロー状態になり、どんなに長時間をこなしても疲れが少ないのですが、
それは雑念が少なく、脳内のコンビネーションが良く、集中力が高いおかげです。

また逆に、時間を遅く解釈してしまう場合もあります。

「フロー」の状態でビジネスをしていると、集中力が高いので、ダラダラしながら
「ノンフロー」で仕事をしている時より、質量とも遥かに高い仕事の成果を出すことができます。

時間感覚はあっという間だったのですが、終わった後、結構な仕事量をこなすことができ、
こんなにできたのだから、結構時間をかけたのだろうと思って時計を見たら、
たいした時間がたっていなかったというのは、フロー後ならよくある体験です。
つまり凝縮した能率の高い時間を過ごしたのが理解できないと、実際にかかった時間より長く解釈してしまうということです。

仕事は様々な雑事が付きものなので、いつもフローでいることはできません。

なので、仕事では「ノンフロー」状態と「フロー」状態の時の、成果の比較は用意にできます。

しかし、大好きな遊びの場合は、ほとんどすぐに「フロー」になるので
「ノンフロー」と比較できなく、成果の比較ができません。

なので、遊びでのフロー時間は、純粋なフロー状態特有の、あっという間に時間が過ぎてしまう感覚になります。

幼少時のフロー時間を回復しよう 

時間は、過去から未来へと、一定速度、方向で機械的に流れます。

1分は60秒、1日は24時間、1年は365日

誰にでも平等に与えられた公平な時間のはずですが、実際は、小学生の時、たとえば10歳と時と、
還暦の60歳の時での1年間は、まったく流れの速さの感覚が違います。

10歳 の時の1年間は人生の10分の1、60歳の時は60分の1。

60歳では10歳と比べ、6 倍のスピードで時が流れてしまう感覚と推測できます。

同じ1年間の中で、10歳 の時の1年間は、本当にいろんな体験、経験をした気がしませんか?
60歳の時の1年間は、子供の時と比べて何もたいしたことをしないで過ごしてしまう気がします。
それは年齢のせいだけでしょうか?

無我夢中、フローの時間を過ごすのは、子供の時が遥かに多いでしょう。
昆虫採集に夢中になったり、コミックや絵本、児童小説に夢中になったり、
映画やテレビやゲームに夢中になったり、何かスポーツに夢中になったり。

フロー状態時は、あらゆる雑念が飛び、忘我、無我になって集中するので、そのやりこむ物事への関与が高いのです。

成果や学習能力が、ダラダラやっている時より、異常に高く、
そのフローを体験する時間が多い、子供の時の方が、
フローが少ない大人の同じ時間より、はるかに豊かな時間を過ごせるのではないかと推測できます。

子供の時の学習の方が、大人になっての学習の方が、はるかに能率が高く思えるのも、
脳の記憶力の違いだけではなく、フローを過ごす、時間の長さの違いにもあるとと推測できます。

人生、後半になっても、子供の時のような豊かな時間を過ごすためには、
「フロー」の時間を、子供の時のように頻繁に体験することが大事です。

チクセントミハイは
「幸福な人生というものは、フローによって、、つくられる」と述べてます。
(後述)

そのためには、仕事中ばかりではなく、休日もなるべく「フロー」になるような時間を過ごすことです。
そうすれば、仕事中にも「フロー」になりやすいのです。

人生をウェルビーイング、真に幸福にするため、余暇も仕事も「フロー」で満たしたいものです。

フローの楽しさ

■フローの楽しさ

その時間は、非常に楽しいものだという言い方をされることがあります。

チクセントミハイもそのように述べてます。

「その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをするということのために多くの時間や労力を費やすようになる心の状態」
『楽しみの社会学』

しかし、レジャーのような娯楽のような、リアルな楽しみではありません。
何かを成し遂げようとチャレンジしているので、軽い緊張感、ストレスが伴ってます。

フロー中、行為の大きな進捗を感じた瞬間に、ワクワクする感覚を得ることはありますが、
基本的に集中しているので、しみじみとした喜びを意識して感じる暇はないのです。

終わった後に、充実感を感じ、快感だったとか、楽しい時間だった、幸福な時間だったかもしれないと述懐します。

「フローの目的はフローを継続することで、頂上や楽園をさがすことではなく、 フローのなかにいることなんです。それは上に登ることではなく、絶え間なくフローを続けること です。つまり、フローを続けるためだけに上に登るんです」。 『フロー体験とグッドビジネス』

フローと幸福

■フローと幸福

チクセントミハイは、素晴らしい人生、幸福な人生というものは、フローによって、
つまり「自分がやっていることに完全に没頭する」ことによってつくられると主張しています。

つまり、フローの時間を増やすことが、幸福な人生につながると言っているのです。

チクセントミハイのいう通り、フローは、幸せになるために素晴らしい効果をもたらします。

先述した通り、フローの時間の中では、幸福感はあまり感じません。
しかしそれは、夢中になっていて、そんなことを考えている暇もないからです。

打ち込むことによる充実感は十分感じており、長続きするほど喜びが増します。
単純で快楽的な喜びを与えるものは、虚しく喪失感を感じことがありますが、
フローは自然な、自発的永続的高揚感を与えてくれます。

創造的かつポジティブで、コントロールの喜こびを感じる経験であり、
自分や社会に対して、いっさい罪悪感や恥ずかしさなどをもたらすことはありません。

フローの状態は生産性の高い実りあるものでもあり、自然にそれを繰り返したくなるものでもあります。

フローは最良の瞬間です。

「最良の瞬間は、普通、困難ではあるが、価値のある何かを達成しようとする自発的に努力する過程で、
身体と精神を限界にまで働かせ切っている時に生じる。」
『フロー体験 喜びの現象学』

またフローは「楽しい」時間ではありますが、単なるレジャーと違い、無形の将来への投資の時間にもなるのです。

「 一度フローが起こると、すぐに精神が成長する。
長期にわたってフローを体験すると、人をたぐいまれで必要不可欠な存在にする。
楽しみは精神的な資本の構築に相当し、喜びは消費に相当すると考えることができる。」

「資本とは、将来のより大きなリターンを期待して、目先の消費を抑制することで生まれる資源のことをいう」
『フロー体験とグッドビジネス』

また幸福を追うよりも、フローに熱中する方が大切だとも述べてます。

「人生にすばらしいことをもたらすのは、幸福というよりも、フローに完全に熱中することである。 」

「フローを体験している時、われわれは幸福ではない。
なぜなら幸福を体験するためには、自分の内面の状態に集中しなければならず、
それは注意力を仕事や手元から遠ざけることになるからで ある。 」
『フロー体験入門』

フローの時間が、幸福な時間だったとしても、本人は自分が幸福だと思っている暇はない、ということでしょうか。

これらのチクセントミハイの記述は、フロー体験はいかに素晴らしい時間なのか、納得させてくれます。
積極的に意識できるようになれば、人生にさらに高い関心をもち、活動を楽しみ、
物事をコントロールしているという感覚をもち、強い自信を感じるようになるでしょう。

フロー体験のおかげで、豊かさやと心地よい緊張感がもたらされることにより、
人生は素晴らしい意義あるものとなり、その人生に、豊かな幸福感が花開きます。

フローがもたらす幸福度ははかりしれないものがありますが、フローを、幸福の第3の形態だという主張も出てきました。

もともと、古代ギリシャ以来、幸福というのは「快楽」と「意味」の2つの意味付けでした。

「快楽」は、五感を通した心地よさや気持ちよさで得られる幸福。
「意味」は、生きがいや自己実現を感じることで得られる幸福。
そこに第3の幸せとして「時を忘れて没頭する」という幸福が現れたということです。

フローな感覚は、古代ギリシャどころか、それ以前、原始時代からあったと思われますから、
3番目の幸福への定義化ということでしょうか。

人生を、豊かに実りある幸福なものにするために、「フロー体験」は欠かせないものと言えるでしょう。

究極のフロー、ゾーン

■究極のフロー、ゾーン

フロー体験をの特徴のひとつに、自分をコントロールできている感覚があります。

日常生活においては、高圧的な上司の命令、乱暴なドライバー、いうことを聞かない子供など、どうにもならない事柄に囲まれてます。

それにたいして明確な自分の領域である、フロー活動の世界では、チャレンジを通し、
それに見合うスキルを伸ばしていくかぎり、周囲のストレスに対処できる見込みがあります。

チクセントミハイがインタビューした、あるチェスプレーヤーは、対戦相手まで自由にコントロールできたという経験を述べてます。

「他の人間の運命をしっかりとつかんでいるような、はかり知れないほどの強さを感じる」とまで言ってます。

他人をコントロールできる感覚を得たと主張するアスリートは、多くはないのですが、それは、あるといわれてます。

高度なアスリート同士の戦いだと互いに「潜在意識下」で勝負しているといわれます。
無意識である「潜在意識」での戦いなので、相手をコントロールしているとは、意識できないのかもしれません。

すべてのフロー状態が「潜在意識」での作用だということではありませんが、
フローのさらに奥に、「潜在意識」への没入があるのかもしれません。

ビジネスの作業や、画家、小説家の創作は一人で行いますが、
競技はほとんど対戦相手がおり、フロー状態を「ゾーン」と呼んでます。

フローとゾーンは、同じものとされてます。

しかし、もしかしたら「ゾーン」は、競技で相手と「潜在意識下」で戦う、
個人的なフローより、さらに奥深い世界なのかもしれません。

なので、個人的作業の「フロー」の奥に、さらに潜在意識にまで没入するレベルがあるのならば、
それを改めて「ゾーン」と呼んで区別するとわかりやすく、面白いでしょう。

「ゾーン」とは、マズローのいう「至高体験」なのか「自己超越」なのか。

いずれにしろ、人類が到達できる最高の境地なのかもしれません。

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